【追悼・丸山晴茂】「ロックバンド」としてのサニーデイ・サービスを担った男
先日、いつものように目的もなくネットを徘徊していると、あるニュースが目に飛び込んできました。
それは、サニーデイ・サービスのドラマー、
サニーデイ・サービスはここ最近リリースペースが異様に早く、
サニーデイ・サービスに欠かせない存在
訃報を知ったとき、脳裏に浮かんだのは、
もっと具体的に言うと、「baby blue」の冒頭アコギパートからバンドサウンドに移行する際の、「寝ぼけまなこ」のフィルインと、「埃っぽい」
亡くなった人の顔に泥を塗るような言い回しで申し訳ないのですが
それぐらい、彼のプレイには特別感がありました。
私は、丸山晴茂のドラムがなければ、「ロックバンド」としてのサニーデイ・
ご存知の通り、2016年のアルバム「DANCE TO YOU」では、丸山氏はほとんど参加していないのですが、
実際に叩いてなくても、いつも晴茂くんがいてバンドを動かしてるような感じがする。どこかで見えない力が働いてる。自分でドラム叩いてても、晴茂くんだったらこう叩くんだろうなって思いながらやってる
曽我部のこの感情には、なんとなく共感できるものがあります。
インタビューにあるように、「桜super love」の歌詞に出てくる
「きみがいないことは きみがいることだなぁ」
という印象的なフレーズが、まさしくこの心情をうまく言い表しています。
つまり、「不在」=「喪失」ではなく、「不在」であることがそのものの「存在感」を際立たせる、ということを、曽我部は悟ったのです。
そしてこのエピソードは、ビートルズの「リンゴ・スター不在事件」を思い起こさせます。
アルバムレコーディング期間中に、ドラマーのリンゴ・スターが、ビートルズ脱退を宣言しました(結局すぐ戻るのですが)。
スケジュールの関係上、リンゴ不在のまま、ポール・マッカートニーが、かわりにドラムスティックを握り、レコーディングを続行したという名エピソードです。
私は、リンゴ・スターをロック・ポップス界最高のドラマーだと確信しています。
しかし、この「Dear Prudence」におけるポールは、リンゴのドラミングを完璧にシミュレートしていると思います。
このリンゴとポールの関係性と同じように、常に一緒にいたこと、プレイを間近にみていたことで、曽我部は、丸山晴茂の「フィーリング」が染みついていたのではないでしょうか。
そして、丸山の「フィーリング」こそが、「サニーデイ・サービス」というロックバンドの必要条件なのではないかと思っています。
丸山晴茂はサニーデイ・サービスというバンドの中に、今も息づいています。
そしてバンドは、丸山晴茂に支えられながら、これからもずっと、続いてくことでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。